いおく県議「みんなが、それぞれの人生を選べる明るい世の中にしていきたい」

奈良県議会 いおく美里 議員
いおく美里 奈良県議会議員(2021年4月19日)

奈良県議会議員 いおく美里(井奥美里)氏に、政治についての考え方などをインタビューした。

記者
色紙に「明」と書かれた意味は。

県議
自分の人生が明るく楽しく。私だけではなく、みんなが目指せる社会をつくっていきたいと考えているからです。

記者
〝いおくさんは明るい〟というイメージがあります。「明」という意味は、自分だけではないということですか。

県議
はい。
社会にとって必要なのは、自分自身の「選択の自由」があることだと考えています。

たとえば、長男だからとか、高卒だからとか、女の人だからとか、男の人だからとか、なんとなくこれまでの日本社会でつくられてきた「こうしなきゃいけないという不自由さ」から解放されて、みなさん一人ひとりが選びたい道を選ぶことができる、そして選んだあとでも方向転換ができる、失敗しても再チャレンジできる、明るい社会にしていきたいと思っています。働くことだけでなく、学ぶ、家庭を持つなど、人生の色々なフェーズ(段階・局面)においてです。
自分自身が好きな道を選んでもいいんだという価値観が、日本では不足していると感じています。
その結果、我が国は労働力不足にあえぎながら、女性は働きたくても、男性と同じように働くことが難しく、いっぽうで男性の死因第一位が自殺(20歳~45歳)だなんて、不幸です。
性差の問題だけでなく、格差・貧困の問題など、たとえば、生活保護を受給している家庭で育ったこどもの進学率が相対的に低いことは「選択がない」ということです。それは親だけでの問題ではなく、社会全体で支援していくことが必要です。
政治・行政は、改善への取り組みをしており、少しずつ改善されていますが、問題の解決に向けて、まだまだ不足していると思います。

記者
そのように考えるようになったのは。

県議
わたしは、祖父が戦後すぐに作った小さな町工場の家庭で育ちました。物心ついたころは、父が祖父の後を継ぎ、平日は見ることがないくらい、朝早くから夜遅くまで働いていました。後から聞いた話では、学卒後入社した会社で、仕事もちょうどこれからという時期、祖父の会社を継いだ人生の変わり目の時期に、懸命に仕事をしていたころだと思います。
そんな経緯もあってか子どもの私に、「自分で道を選びなさい」と言って育ててくれました。
私が政治家になろうとしたとき、父も家族も分かってくれましたが、たくさんの人からは「女性なのに政治家になろうとするんやね」と、性差別的なことを言われました。
社会に半々存在する女性でもこの反応。いかに型にはまった考えで、選択する自由が限られている社会だと感じました。

記者
当時(2011年)、最年少31歳で、県議会議員に初当選されたときは。

県議
当時(2011年)は、奈良県議会は44議席、女性議員は6名いました。「女性議員が少ないなぁ」と感じていましたが、都道府県の47議会のなかで、奈良県議会は女性比率が多いほうだったそうです。たしか上位4番目だったかと。
奈良県だけでなく、日本は、女性の議員がまだまだ少ないと感じています。

記者
県議を続けてこられて、変化した、感じたところは。

県議
市民の方々に、説明をすることの難しさです。
善悪や二元論でものごとを語ったほうが、市民の方々には分かりやすいですし、明瞭(めいりょう)にご説明したいと思っています。
けれども、そのうらにある背景だとか、敵と悪ではなくて、お互いの正義をどう調整するかというのが政治であると思っています。相手の間違ったところを指摘したほうが、分かりやすいこととは知りつつも、スパッとはっきりと言ってしまうと、ちょっと「ウソ」になってしまう。
スパッと説明してしまうと、明快で、明朗で、「よく言った」ということになるのでしょうが、それはしたくないと思っています。

「いおく美里NEWS」P.1
「いおく美里NEWS」P.2
「いおく美里NEWS」P.3

記者
高校時代に、ドイツへ留学されていますね。

県議
ドイツの公立高校に留学して、一クラスが20人ほど、つくえが大きい、ディスカッション(討論)する授業が多いなど、日本と教育制度がちがうことを感じました。
ドイツでは、高校の授業料は無償化されており、留年することはめずらしいことではありませんでした。休学してボランティア活動や留学している学生もいました。
高校や大学を卒業する年齢が、日本のように一律ではなく、浪人していても、就職差別がない社会でした。
国の政治・制度のちがいによって、人々のくらしが違ってくることを肌で感じ、政治に関心をもつようになりました。

記者
ドイツ国民の環境意識の高さを感じたそうですが。

県議
ドイツ国民の環境意識が高く、環境先進国と呼ばれているのは、ドイツ国民の国民性もあるでしょうが、ドイツの国が環境問題についての法律を整備しているからです。
たとえば、飲み物は、ペットボトルではなくビンで売られていました。ペットボトルはありましたが、1.5リットル以上の大きなもの、コカ・コーラなどメーカーが限定されていました。ペットボトルは日本のペットボトルよりも分厚く、ビンと同様に再使用されていました。
日本では、小型のペットボトルが解禁された時期でしたから、日本とドイツの違い(法律・制度・規制)に驚きました。

記者
衆議院議員選挙に挑戦されようとされていますが。

県議
これまで、私に投票してくださった有権者の皆様は、私に、新しい風を奈良県に吹かせてほしいと期待してくださっていたのだと思います。
私は、県議会で新しいことに挑戦し続けてきました。県議会の本会議では、これまで誰も質問してこなかった新しい質問をしてきました。
時代が変わっていくことによって生まれてきた新しい問題があります、社会が変わっていくなかで新しく出てくるだろう課題があります。新しい問題、社会の動きについていけず、政治が足を引っ張っているという場面があります。
新しいことに取り組みたいなと思って、新しいことに取り組んでいると、成果として実現できたこともありましたが、できなかったこともありました。県からは「課題であることは感じていながらも国から補助金がないからできません」「全国の動向をみて」「国の動向をみて」という回答を受けました。
県が、国に言われるまで待っていては遅いですし、北海道から沖縄までの47都道府県は風土も課題も違いますから、国まかせでは解決できない問題が出てきますし、自主性と自立性がうしなわれていきます。
私は、明るいというのは、それぞれの個人がやりたいことをやっていく、それによってそれぞれの個人の暮らしが明るくなっていくことだと言いましたが、個人だけでなく、それぞれの地方にも言えることです。47都道府県が同じことをしているだけでは、もったいないと思います。
奈良県が奈良県らしく、奈良県が政策を決定して実行していくためには、県のあり方や地方のあり方を変えていかなければならならない、国を変えなければ地方が変わらない、今のままでは地方が変わらないという想いがあり、国政選挙に挑戦しようと決めました。

記者
県議会議員から国会議員を目指す理由は、一人ひとりを明るくしたい、奈良県など地方を明るくしていきたいということですか。

県議
はい。国会議員になっても、一人ひとりのために働きたいという気持ちは変わりません。

いおくニュース No.104(毎月発行)P.1
いおくニュース No.104(毎月発行) P.2~P.3
いおくニュース No.104(毎月発行) P.4

記者
マニフェスト大賞を受賞した「全国初の外国人の専用避難所」というのは。

県議
奈良県は観光県で、世界中から外国人観光客も多く来られます。コロナ禍の今はおられませんが、かつては県庁から一歩奈良公園に出ると、日本の方より外国の方の方が多い、そんな地域です。
これからコロナ禍が収まると、今まで我慢してきた海外旅行で、また奈良県にも多くのインバウンドを迎えることになると思います。日本は観光地であると同時に、災害が非常に多い国でもあります。さて、災害が起きてしまったときにどこに避難をするか?地元の避難所に行かざるを得ませんが、避難所はその地域の方が来られることを前提に用意がされている。外国語対応もできません。
実際、熊本地震でも「そもそも今何がおきているのかわからない」「食事のタイミングが分からなかった」「宗教上食べられないものがあるが、入っているかわからず食べることができなかった」等がおこり、避難所にいることができなかった。そんな例を新聞報道で知りました。
そこで私は、観光県である奈良県は、この問題にあらかじめ準備が必要だと考え、外国人の専用避難所を提案しました。
奈良県は、県営の旅行案内所・宿泊施設(猿沢イン)があるので、運営は従来どおり市に委託しつつ、訪日外国人観光客の避難受け入れ準備について県がするべきだと考えました。
訪日外国人観光客を想定しておらず、県は、「できません」「法律的にできません」「憲法上つくれません」ということでした。県と何回も話し合い、最終的には「福祉避難所」として実現することができました。
この取り組みは、全国で初めてで、現在は総務省からも事例として全国に紹介されています。

記者
フェイスブックを見ると、朝に駅などで街頭演説されているんですね。

県議
立憲民主党の政策についてお話をしたり、県議会の報告をしたり、奈良県のコロナ対策についてお話をしたりしています。
まず、私を認知、認識していただきたいと思っています。私に投票してくれた方でも、ずっと4年間、私のことを覚えていてくれるかどうかは分かりません。選挙のときに、その場の雰囲気で選ばれるのではなくて、いざというときには頼られる存在として、選挙前だけではなくて、継続的に街頭演説をしています。